稽古日 : 火曜日
・入会金/5000円
・月謝/9000円(水屋代含む)
ご興味のある方は見学していただけます。
事前にご予約ください。
茂庵のお茶席を1日お使いいただけます。詳細はお問合せ下さい。
「市中の山居」とは、町中に居ながらにして山中の風情を楽しむこと……すなわち日常の中に非日常の空間を取り込み、その空間と時間を楽しむということを表した茶の湯の用語です。茂庵はもともと大正時代に創られた茶の湯のための場です。その立地は、西に京都大学、百万遍、東に銀閣寺、、と人々の行き交う町中にありながら、ほんの少し、足をのばすだけでどこか遠くの山中にトリップしたかのような隔離感を感じることのできる場所です。澄み切った空気、ただよう緑の風、時折聞こえる鳥の声……。ここが、京都の市内だということを忘れてしまいそうになります。この素晴らしい環境と、茶の湯のかおりを伝える為に本来の「市中の山居」の意味を広義に捉え、茂庵のキャッチフレーズとしています。
この場が皆様の日常に、美しい時間をそっと添えることのできる存在でありたいという願いを込めて。
茂庵は大正時代に一人の数奇者によって創られました。
1864年生まれ、八瀬大原出身の谷川茂次郎は、若いころから独立心に溢れ、幾つかの事業を経験したのち、大阪にて新聞用紙を中心に扱う運輸業を興します。(現:谷川運輸倉庫株式会社) 明治、大正の激動の時代を映す新聞業界の進歩発展と共に彼の事業は順調に成長していきました。新聞社と製紙会社の間に立つ茂次郎は両者から絶大な信頼を得、「円転滑脱の才の持ち主」と評されたといいます。
事業に成功した茂次郎はのちに 取引先の製紙会社の社長のすすめで茶道を始めます。裏千家に入門し本格的に茶道に親しみ、また裏千家を強力に後援、流儀の発展に貢献したことから今日庵の老分(長老)として遇されました。このように数奇者としても造詣を深めていった茂次郎は、神楽岡(吉田山)の山頂に茶室8席、月見台、楼閣など広大な森の茶苑を築きあげたのです。たびたびお茶会を催しては茶人としても多くの人と交流を深めました。
茂次郎の没後、数十年封鎖されたこの地に現存するのは当時の食堂棟(現、カフェ)と茶席二棟。
「茂庵」というネーミングを茂次郎の雅号から採り、今の茂庵のスタイルが生まれたのです。
なお、茂庵は平成16年8月17日付けで、京都市の「登録有形文化財」に登録されました。